| この小説はあすみさまよりいただきました。 |
Paradise Gate〜火焔の章〜
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「おまえに、火焔(かえん)という名を与える」 薄茶の髪の青年は…再会した少年に名前を授けた。 「…火焔?」 首を傾げる黒髪の少年は、籠に入った溢れんばかりの緋色の羽根を抱えて彼を見つめる。 「導師に聞かなかったか? 出会った証しとなるものを得、名を授けられることが何を意味するかを」 一つのことに思い当たった少年…火焔は、驚きに目を見開いた。 「月人(つきひと)でおまえのお披露目の儀を行う。身支度を整えたら上層に向かう門のところへ来い。 出来上がった絵を持って…それで赤い鳥の絵を描くんだろう? 木枠に張った布に挿して」 青年の言葉に、火焔はますます驚いた表情をする。 「…どうして」 「俺のもう一つの姿を描くのなら、上手に描いてくれよ。一度だけ、本物を見せてやるから」 言うが早いか、青年は燃えるような朱の色の鳥…鳳凰に姿を変えその場を飛び去った。 後に、呆然とした…彼の眷属に選ばれたばかりの少年を残して。
天上界には、人として生まれ変わらないことを条件に特別な力を与えられた者達がいた。 彼らの名は、隆海(りゅうかい)、琥珀(こはく)、鳳炎(ほうえん)、犀幻(せいげん)――。 永遠に自由な…美しい煉獄にとらわれていた彼らは、次の生を待つ人間に持て余している力の一部を 与え…眷属として従えることで退屈を紛らわせていたのである。 また、次の生を待つ人々にとっても、眷属に選ばれることは一つの夢ですらあった。 もっとも、それは非常に稀なことであったが。
「鳳炎の女が、人界に下りたそうだ」 4人の中で、一番気さくだといわれている犀幻が酒の肴に親友の鳳炎のことを話し始めた。 「…またか。これで何度目だ?」 呆れたように言葉を吐いたのは、一番生真面目だといわれている隆海。 眷属に選ばれた者の中には、俗に人神と言われる彼らの情人になる者もいる。 鳳炎は特に多情で、情人の数は半端ではなかった。 しかし何故か、一定の時期を過ぎると情人として側にいるよりも転生して一時的に離れる者が多かったの である。 「アイツのお相手探しが始まるな…」 笑いながら酒を自ら注ぎ足すのは、飄々とした性格の琥珀。 「ところで犀幻、この間見つけたと言っていた黒髪の少年…眷属に選ぶのか?」 隆海の問いかけに、犀幻は肩をすくめて答えた。 「それがな…声をかけようとした俺の目の前で“憧れの人神さま”の話を始めたんだ。あの少年… 連れに対して何て言ったと思う」 その口ぶりから察するに、犀幻自身のことでなかったのはすぐに理解できる。 「さあ? 誰の名前が出たんだ?」 興味深々な様子で身を乗り出した琥珀に、犀幻は眉を寄せて答えた。 「…鳳炎だ。会えるなら、眷族になれなくてもいいから鳳炎に会いたいと」 隆海と琥珀は、犀幻が珍しく他人の周辺を暴露する話を持ち出した理由を察する。 「よっぽど悔しかったんだな」 隆海の鋭い言葉が耳に痛いのか、犀幻は苦い顔で酒を呷った。 「…だけど俺も素直には引き下がらなかったさ。今度捕まえたら絶対に逃がさないよう、印はつけておいた」 印、というのは…目をつけた相手に僅かながら力を与えることである。 「さすが犀幻、抜け目がない」 小さな笑いが起き、鳳炎を除いた3人の酒宴はいい具合に盛り上がりを見せ始めた。 「ところで賭けをしないか?」 そう言い出したのは琥珀だった。 「何の賭けだ?」 犀幻が問い掛けると、琥珀は口角を上げて答えた。 「犀幻がその少年を眷族にするのと、鳳炎に新しい情人が出来るのとどちらが先か…」 しかし、隆海が呆れたように笑いをこぼす。 「賭けにならん。鳳炎が相手を欠かしたことがあるか?」 琥珀と犀幻は、少し考えて…同時に首を振った。 「いや…」 「ないなあ、確かに」 彼らの胸中には、常々鳳炎に対して浮かぶ疑問がある。 望めば何もかも手に入る立場でありながら、なお際限のない欲を彼が持っていることだ。 「普通は、充たされ過ぎると欲なんて無くすような気がするんだがな」 犀幻の言葉に、琥珀は一瞬うなずきかけるものの…反論を口にした。 「いや、本当に欲しいものが手に入らないのに別のものを与えられても充たされないんじゃないのか?」 隆海も、琥珀の意見に同意する。 「それは分かる。もっとも鳳炎ほど別の何かで充たそうとは思わないが」 犀幻は、笑いながら隆海の肩を叩いた。 「一番の堅物だといわれてるおまえさんの口からそう聞くとは思わなかった!」 隆海は心外だと言いたげな表情でその言葉に答える。 「堅物とはひどいな。私にも欲しいものはある」 琥珀は、その言葉にぴくりと肩を揺らし…隆海を見た。 「ほう、一番眷属が少ないものの精鋭が揃ってるおまえの次に狙う相手ってのは?」 犀幻の問いかけに、隆海はとんでもないと言いたげに首を振る。 「眷属になぞ従えられる相手じゃない」 琥珀が隆海を見つめたままであることは、犀幻も気づいてはいなかった。 「…ってことは、相手の立場の方が上ってことか。それとも同等か」 問い詰めようとする犀幻を、さらりとかわす隆海。 「さあな」 一見堅物で実直に見えるものの、実は一番食えない男…それが隆海だった。
決して4人でつるむことが嫌いではない鳳炎が、何故今回の酒席を抜けていたのかというと… 眷族にふさわしい者を探しに下層へ降りていたためである。 それが新しい情人になるかどうかは、その者に対して抱く興味次第だった。 そして目的通りに、一人の少年を見つけてきたのである。 出会ったあと、犀幻のつけた“印”に気付いたが…鳳炎の正体を察して声を掛けてきたのは 少年…火焔の方だった。 少年の物怖じしない性格に、面白さを感じた鳳炎は彼が無事にある課題を果たしたあと 眷属の資格を与えることにした。 下層の時間で数日、自分とであったことを誰にも話さぬよう言い含め…少年が約束を守れ るかどうか試したのだ。 彼はまさか自分が眷族になれるとは思っていなかったせいか、憧れの人神に会えたことは誰にも 明かさず…鳳炎と出会った場所に再び現れた。 実は本来、人神がいる場所ではそこで暮らす者達に見た目の差はないのだが…そこよりも下層… 転生を待つ者達のいる空間では持つ能力の違いが翼という形で現れる。 転生の回数が多い者、または魂のレベルが高いものほど翼は大きくなり…人神ともなると 地に付いた部分は折れ曲がるほどの長さになるのだ。 しかしその翼は天翔けるためのものではなく、あくまで力を具現化したものに過ぎなかった。 人神は時折神界から命令を下され、己が力を発することがある。 そのとき、彼らの翼は司る自然を象徴する色に染まり、羽根は一度すべて抜け落ちる。 鳳炎の眷族になった少年が欲したのは、抜け落ちた彼の羽根だった。 だが少年は、それが眷属の証しとして与えられるものだとは知らなかったのである。 ただ、その美しい羽根で…獣形をとった彼の姿を描きたかっただけなのだ。
人神やその眷属、また神界から降りた地仙などの住まう階層…星佳(ほしか)に戻った鳳炎は 門の近くでかつて情人だった眷属の女性、燐火(りんか)に呼び止められた。 「気が濃いわね、鳳炎」 「…燐火」 幾多の情人の中で、燐火との関係は長く続いたほうだ。 しかし彼女は一度転生の道を選び、鳳炎のもとを離れた。 「下層で力を使ったってことは、新しい眷族でも見つけてきたの?」 「…ああ」 鳳炎との関係を絶った者が、星佳に戻ってくることはあまりない。 「じゃあ、もうすくお披露目なのね。間に合って良かったわ」 形の良い唇が笑みを作る。 「戻ってくれるのか? 俺のもとに」 鳳炎は、少しだけ期待した。 しかし彼女は、笑んだまま鳳炎の横を擦り抜け…その期待をあっさりと裏切る言葉を投げた。 「あなたの情人には戻らないわ。眷属ではあり続けたいけど」 人神の眷属であることを放棄したければ、星佳以上の階層に戻らなければいいのである。 落胆して黙り込んだ鳳炎に、燐火は振り返って告げた。 「あなたのそばにいて心をすり減らすのはもうイヤなの…嫌いにはなりたくないもの」 ずっと昔、同じようなことを誰かにも言われた覚えがある。 鳳炎は、自分があまり人の愛し方を知らないらしいと気付き始めていた。 「今度は間違わないでね。鳳炎」 そう言って、彼女はその場を去って行った。 「……………」 間違うなとは言われても…鳳炎にはまだ自分の何が間違っているのか分からなかった。 一応はその言葉を心に留めておき、新しい眷属を迎えるために…人神を統括する存在である 麒麟とその眷属のもとへ向かう。 眷属に選んだ者がどんな人物であれ、麒麟も眷族も、神界の者も何も言わない。 だが…火焔のことを報告したとき、麒麟が少しだけ鳳炎を凝視した。 麒麟は常に獣形で、人語は解するが…麒麟自身の言葉を伝えることができるのは眷族の中 でも一番高い位に位置する者だけである。 その地位に就いて間もなかった悠俊(ゆうしゅん)は、鳳炎に対して麒麟が予知したことを告げた。 「運命が狂い、混乱が起きる…」 鳳炎は眉を寄せる。 「…こんな退屈な世界の、運命?」 たかが眷族一人に乱されるような、そんなもろい世界なのか…?と。 「秩序を乱すのは、あなたと…そして選ばれた者」 鳳炎は、またもや己の間違いを指摘されたような気分になり…かっとなって言葉を吐き捨てた。 「そんなことを言うのなら、最初から認めなければいい! 眷族も、人神も!」 悠俊はあくまで冷静に…自分の言葉で鳳炎を諭す。 「人神の存在は、神界の者でさえ否定できない。人神もまた、己を否定することは許されない」 例えばその溢れんばかりの力でも、己を傷付けることは出来ないのだ。 まるで矛盾がそのまま形になったような、人神という存在。 「…犀幻の印を持った者を、俺の眷族にしたことが原因か?」 選択を間違えたというなら、思い当たるのはそれしかない。 しかし…悠俊は首を横に振った。 「彼の者は、いずれ誰かの眷族になっていただろう。人神だけでなく…神界にも縁のある者ゆえに」 もとより上層に在るべき魂だったと知って、鳳炎は驚き…そして納得する。 「火焔に縁がある神界の者というのは、誰なんだ?」 鳳炎の問いに対して、悠俊はしばらく押し黙っていたが…麒麟に促されて答えた。 「…紫の、星…」 それは、同系列だが地位で言えば鳳炎よりもまだ上の…神の一人である。 「紫星(しせい)か」 重要な神界との取り決めごとを話し合う場合に必ず列席する彼を、鳳炎はよく知っていた。 紫星は隆海と気が合うらしく、神と人神の壁を超えて親しくしている。 お披露目の儀にも、当然現れるだろう。 それまではただ漠然と手に入れてきた眷族の中で、鳳炎は初めて…火焔に対して明かな興味を抱いた。
過ごし慣れた階層から、上層へ向かうために…火焔は大事に布に包んだ一つの絵だけを持って 門のところで鳳炎を待った。 しかし、火焔の前に現れたのは…人界で幾度も出会った人物…紫星だったのである。 「…義成(よしなり)!」 思わず口をついて出たのは…火焔が覚えていた、彼の人界での名前の一つ。 「久しいな」 何度も出会い、同じ時代を生き抜いた。時に幼馴染み以上の感情をお互いに抱いた事も。 天界で顔を合わせるのは、これが初めてだった…。人界とは顔は無論違うが、魂の波長で分かる。 純粋で天衣無縫な“火焔”の性質は、人界でもここでも変わらないらしい。 悠俊から鳳炎がつけたという彼の名を聞いたとき…滅多なことでは笑わない紫星が薄笑みを浮かべた。 そして懐かしさも手伝って、お披露目の儀の前に昔馴染みの顔を見たくなったのだ。 「…義成、ここではなんていう名前?」 火焔の問いかけに、紫星はゆったりとした口調で答えた。 「紫星という。人神の監視役だ」 火焔は“義成”が人神よりも上と聞いて驚く。 「…神界の人?」 紫星はうなずきながら、小さな装飾品を差し出した。 「私からの贈り物だ。火系の力というものは、強くなればなるほど己の心身をも消耗する。それを少しでも 和らげられるように」 火焔の耳に、紫星は自らその装飾品をつけてやる。 「…ありがとう」 だが、その光景を…少し離れた場所から鳳炎が見ていたのを二人が気付く事はなかった。
紫星が去ったあとで、少し間を置いて…鳳炎が現れた。 嬉しそうに微笑んだ火焔とは対照的に、鳳炎は何故か不機嫌そうな表情をする。 火焔は、多忙な中完成させた絵を、見せたくてたまらなかったが…月人に向かうまでの合間 口すらも開かない鳳炎の素っ気無い態度に肩を落とした。 月人に到着した彼らを出迎えたのは、琥珀を除くほか二人の人神と…彼らの眷族数人である。 しかし、犀幻だけは歓迎というより呆然とした表情で火焔を見つめていた。 まさか鳳炎の新しい眷族が…あの少年だったとは。 また、隆海は火焔がつけている装飾品に気付き…声をかけた。 「…それは、紫星の…?」 火焔はようやく明るい表情になり、大きくうなずく。 「はい! 義成…あ、紫星が」 人神の眷族になったものは、たとえ神界の者でも敬称をつけなくてよいのである。 「紫星は“義成”と呼ばれていたことがあるのか。似合うな…確かに」 今回のお披露目を、隆海は別の理由で楽しみにしていた。 まさか鳳炎の選んだ者が紫星と縁があるものだとは思わなかったが…。 それでも会合などでしか来ない紫星に会える、数少ない機会だ。 二人の会話を聞いていた鳳炎が、あからさまに機嫌の悪い声で隆海に告げた。 「…隆海、紫星に伝えておけ。人神の“所有物”に手を出すなと」 鳳炎の言葉に、隆海…そして犀幻も眉を寄せる。 「…鳳炎」 当の火焔は何のことか分からず、目を瞬いていた。 「火焔、行くぞ」 そして鳳炎は、他の面子をその場に残し…火焔の腕を掴むと各人神に与えられた屋敷へ向かった。
「隆海…」 犀幻が少年を見送った直後、隆海にぽつりとこぼした。 「…ん?」 「俺はあんまり執着心はないほうだが…初めて思ったぞ。印をつけたことだけで安心せず…早く眷族に していれば良かったと」 隆海は、犀幻のその言葉にあの少年が酒宴の席で聞いた例の人物であることを知った。 「…そうか。あの少年が」 鳳炎らしからぬ言動から、火焔がただの眷族で終わりそうにないことは察せられる。 女性の情人が多かった彼(鳳炎)だが…。 「お披露目の儀は明日だな」 下層から連れて来られた者は、上層の…特に月人の張り詰めた気…神界に一番近い状態にある 階層にすぐにはなじめない。 そのため、一日をかけて身体を慣らすのである。 犀幻は…惜しみながらも火焔の儀式を見届けることにした。
「…あれ?」 鳳炎に引っ張られ、屋敷についた火焔は…今までに感じたことのない身体の重みに戸惑っていた。 「どうした…?」 再会して初めて、鳳炎は気遣う言葉を投げる。 「身体が…きつい」 変化の理由に気付いた鳳炎は、少しでも火焔が楽になるように自分の力を分け与えることにした。 「そこに座って、腕を出してくれ…」 火焔が、言われるままに右腕を出す。 だが、そこには既に犀幻がつけた印…等間隔に並んだ4つの黒子があった。 鳳炎は、再び自分の中にどす黒い感情が湧き上がるのを感じていた。 「…少し熱いが、我慢できるな?」 鳳炎の問いかけに、火焔はコクリとうなずく。 儀式がどんなものであるかは、眷族になった者しか知らないが…紫星も言っていたように火系の力は 己が身を焼くようなものだと下層の導師から聞いていた。 痛みや熱さは…覚悟している。 火焔の前に膝をついた鳳炎は何か呪文のようなものを唱え…それから左手の人差し指の腹で 眉間に触れた。 周囲の空気が、陽炎のようにゆらりと揺れる。 そして、鳳炎はその人差し指を火焔の右腕の…犀幻がつけた印の一番端を隠すように押しつけた。 「…………!!」 火焔の顔が、歪む。それは熱さというよりも痛みに等しかった。 皮膚の焦げる匂いが鼻をつく。 そのとき火焔は、自分が人界にいるときのように肉体を得ていたことを察した。 下層の者は、人の姿形をしていても…実は魂と幻影だけの存在なのである。 「…これで、いい」 鳳炎が指を離すと…そこには彼の眷族のもう一つの証しである聖印が刻まれていた。 犀幻がつけた印は仮印で、鳳炎のものにくらべれば効力は薄い。 「あ、少し楽になった…」 そうつぶやく火焔を見つめながら、鳳炎は自分自身の気持ちがまだ収まらない事を察した。 「…決めた」 それしか方法がないと思った。 自分の眷族なのに…他の者の気配が見え隠れするのは気に入らない。 「……鳳炎?」 鳳炎の言葉の意味が分からず、火焔は首を傾げた。 「火焔、こっちへ来るんだ」 鳳炎は立ち上がると、別室へ歩き出す。 訳の分からないまま、火焔は後を追うように椅子から腰を上げた。 長い廊下を抜け、辿り着いた先は…本来ならば身体を休めるための場所。 翌日の儀に備え、眷族となる者を眠らせるための――――。 火焔が無意識に扉を閉めると、鳳炎は手を差し出した。 「大人しくしていれば、おまえは目覚めたとき何者にも負けない力を得ているだろう」 火焔は戸惑いながら、鳳炎の手を取った。 鳳炎は握った手を強く引き、火焔の細い身体を抱き込んだ。 「…鳳…炎…?」 憧れの人神の、整った顔が目の前にある。 「俺を…恐れるな」 彼はそう囁いて、火焔の唇を塞いだ。 身体が…熱くなる。鳳炎の気が濃くなってゆく。 火焔はぎゅっと、目蓋を閉じた。 まだ慣れない肉体の感覚に、翻弄されながら臥台へ崩れ落ちる。 身に纏っていた衣装を剥がされ…肌を鳳炎の手や唇が這う。 …大人しくしていろと言われたが、次から次へ襲い来る感覚の波に飲まれ…抗うことも出来なかった。 ただ、すがるように鳳炎の背中に手を回す。 そうしていれば、自分がここにいることを確かめられるような気がした。 魂だけの存在である下層の者にも、一応性別はある。 もっとも人界に生まれるときどちらを選ぶかはその時次第だが…。 火焔は無論、自分の性別を理解していた。 しかし鳳炎の腕に身を委ねることを禁忌だとは思わなかった。 神界でさえ、同性の情交は禁忌ではない。むしろありふれたことだったのである。
「…紫星」 隆海は、月人全体が見渡せる緑野の丘に彼を探し出し…声をかけた。 「隆海か」 答えは返って来たが、紫星は遠くを見たまま振り返ってはくれなかった。 紫星もまた、馴染みの者が他の眷族となってしまうことを惜しんでいるのだろうか。 隆海は少し意地悪い気分になり、鳳炎の言葉を告げた。 「…鳳炎が、自分の所有物に手を出すなと…あなたに伝えろと言っていた」 その言葉でようやく…紫星が振り向く。 「……馬鹿なことを」 吐き捨てられた言葉は、紫星がそんな考えを一つも持ってはいなかったことを証明していた。 「…だが悠俊が言っていた。あなたがいずれ…あの少年を眷族に迎える準備をしていたと」 紫星はまた前方の風景に向き直り、隆海に背を向ける。 「私よりも鳳炎との縁のほうが強かったのだ。ただ、それだけのこと…」 諦めていた心情が伺える紫星の口調に、隆海は己が痛みを鎮めるように目を閉じた。 しかしふとあることを思い出し…目を開いて再び彼を見つめる。 「…そう言えば、少年から聞きました。あなたの人界での名前の一つを」 紫星は、目蓋を伏せて吐息のような小さな笑みをこぼした。 「ふっ…」 お喋りで、跳ねっ返りな…。 人界での思い出がいくつか…紫星の脳裏を過る。 「いつのときも、あれは私ではなく別の者を選んだ。やはりそういう運命なのだろう。だからせめて 贈り物をと思ったのだ…」 「紫星…」 隆海はたまらなくなって、紫星を背中から抱き締めた。 「…もっとも、先に裏切っていたのは私のほうかもしれない」 紫星は隆海の腕を振り払わなかった。 むしろ…彼の手に自分の手を重ねさえしたのである。
疲れ切って眠りに就いた火焔に、鳳炎はそっと上掛けをかけてやると…身体を清めるために 沐殿へ向かった。 いくら相手が抵抗しなかったとはいえ…こんな乱暴に近い状態で情人にする者を抱いたことは 今までなかった。 後味が悪い…。 また、行為の最中に鳳炎は力を暴走させてしまったため…火焔はおそらく、眷族としてはその身に 余るほどの力を得たことだろう。 他の、そして鳳炎の眷族の中でもまるで人神と似たような存在になるかもしれなかった。 鳳炎は自嘲するように歪んだ笑みを浮かべる。 「あなたがそんな顔をするなんてね」 急に背後から投げられた言葉に、驚いて振り返る鳳炎。 「…また、おまえか。燐火」 かつて彼女も、鳳炎によってここへ連れて来られた。 「明日、新しい子の世話をさせてもらうわ。そのためにここへ来たの」 燐火は面倒見が良く、情人であったときはいつも新しい眷族の世話をしていたのである。 「…そうか。じゃあ頼んだぞ」 「ええ、任せて」 鳳炎の言葉に、燐火は微笑みながらうなずいた。 前を向いて沐殿への扉に手を掛けた鳳炎は、自嘲ついでに振り返らぬまま彼女に告げた。 「…燐火。俺はまた、間違えたかも知れないな」 力を使った後であることを、多分彼女は気付いているだろう。 しかし彼女は、そんな鳳炎自身が気付いていない事を諭した。 「あなたは今まで、自覚したことなんてなかったでしょう? 自分で分かったのならそれでいいのよ」
翌日…火焔は何かに呼ばれるように、臥台から身を起こした。 身体と心の違和感は、もうない。それどころか…何かが溢れ出すように身体中にみなぎっている。 自分の手のひらから発する気を確かめようとして…下を向いた時、自分自身に起こった変化に気付いた。 肩までしかなかったはずの髪が、胸の辺りまで伸びていたのだ。 それも、黒髪であるはずが茶金に近い明るい色になっている。 慌てて臥台を飛び降りた火焔は、散らばっていた衣装を着込んだ。 そして廊下への扉を開けた瞬間に新しい衣装を持った見知らぬ女性と顔を合わせ…驚きのあまり 立ち尽くす。 しかし彼女はにっこりと微笑んで、火焔にこう告げた。 「目が覚めたのね…沐殿で身体を洗っていらっしゃい。儀式の支度は私がしておいてあげるわ」 彼女が纏う同じ“気”に、鳳炎の眷族だと気付いた火焔は彼の行方を尋ねる。 「…鳳炎は?」 燐火は優しい声で、彼は先に本殿にいると答えた。 「そうそう、それから…あなたは火焔って言う名前だそうね。私は燐火よ」 彼女の明るい言葉に、月人へ来て初めてほっとした火焔は思わず泣きそうになる。 「…………」 相手が心細いと感じているときにこそそばにいてやるべきなのに…と、燐火は歯噛みしながら火焔を 軽く抱き締めた。 あやすように背中を撫でられ、火焔は気が落ちつくまでしばらく彼女の胸を借りて泣いたのである。
沐殿の場所を教えられ、そこで身体を清めた火焔は…屋敷の出入り口に一番近い部屋…鳳炎から 聖印を与えられた場所に向かった。 そこで待っていてくれた燐火に、火焔は長くなった髪を結われ…額や手の甲などに文字のようなものを 紅で書き込まれながら儀式について何をすべきかを聞かされる。 「本殿の真ん中で、片膝をついて…目の前に立つ鳳炎と心を合わせるの」 燐火は、説明しながら…自分の儀式の時の事を思い出していた。 情人になったのはそのしばらくあとのことだが…彼から声をかけられた時は眷族に選ばれたことよりも もっと、嬉しかった…それなのに。 「あなたを信じてるわ。火焔…あの人を…鳳炎をお願いね」 燐火のつぶやきに、火焔は目を円くして彼女を見つめた。 「…燐火?」 燐火は唇を引き結びながら、火焔の支度を続ける。 「……………」 もう、彼女はそれ以上何も言わなかった。
準備を終えた火焔は、燐火に連れられて本殿へと向かう。 その途中…紫星を見かけ、火焔は思わず嬉しそうに駆け寄った。 しかし、容姿にかなり変化が現れた火焔を見るや…紫星は驚いたように凝視したあと、少し淋しげな 表情を火焔に見せたのである。 「…紫星?」 首を傾げる火焔は、自分が変わってしまったことを…忘れていた。 紫星は、隆海に聞いた鳳炎の言葉を思い出し…今後の火焔の為にあえて人界でのことにこだわらない 対応を選んだ。 「…儀式を楽しみにしている。おまえが鳳炎の良き眷族となるように」 そんな他人行儀な言葉が聞きたかったわけではない火焔は、つぶやいたあとに横を通り過ぎてしまった 紫星を振り向くことも出来ず…燐火に呼び戻されるまでその場に立ち尽くしていた。
本殿では、鳳炎が正装に着替え火焔を待っていた。 前日に到着したばかりの火焔を見ていた犀幻と隆海、そして彼らの従えていた眷族が…その変化に 驚きの声を上げる。 そしてもっとざわめきが起こったのは…儀式の最中だった。 悠俊が神々の、そして麒麟からの祝いの言葉を伝え…その後鳳炎が発する力に新たな眷族となる者が 己を同調させようとする。 大概はこのときに眷族としての力を与えられる。 火焔は気を同調させたその瞬間に…通常の眷族では考えられないほどに激しい炎の幻影を見せた。 眷族には荷が勝ちすぎる力の強さである。 もっとも、与えられる側にも器というものがあるのだが…。 火焔はもともと、それだけの能力を受け入れることが可能だったらしい。 ただ、過ぎた能力を与えられた眷属というのは…平穏であるべき場所にあまり歓迎される存在では なかった。
それぞれの誤った選択が…小さな歪みを生んだ。 やがてそれが大きなうねりとなって天上界を揺るがすことになるのだが…それはまた後の話となる。 FIN |